
「当たり前」を常に疑う
「当たり前」の中にどれだけコスパの悪いことが潜んでいるか考えたことはあるだろうか?
会議には絶対に出席しなければならない。
飲み会はコミュニケーションをとる必要な時間だ。
一生懸命、死ぬ気で働け。
働かざる者、食うべからず。
早寝早起き。
決まった時間に机に向かう。
できるだけ多くの情報を浴びる。
とにかく情報を発信しよう。
毎日更新。
確かに状況によっては間違いではないこともある。
でも、これだけ情報が満映している時代に僕たちは取捨選択を迫られている気もする。
誰もが共有の事柄ではなくなってきているのだ。
誰もが同じようにやれば上手くいくなんてことは無い。自分に合ったやり方の中で、成功者の秘訣を学び、真似して、盗んでいくだけでいい。僕はそう思う。
大多数の人がやっていることに真実味を感じなくなってしまった。
SNSやYouTubeの情報が誰かによってほとんどが二次情報と化した今の時代に、僕は本から学ぶことがかなり多いことに気付いた。
本から学ぶことはまだ誰も発信していないことが多く、そして本人による実体験による情報や知識が多く含まれている。
こういった情報や知識こそ僕が本当に欲しているものだと気付くことができた。もはやSNSで情報収集する時代は僕の中で終わっている。
これからは自分の欲する情報を、成功者の体験が多く含まれていて、誰も必要としていないものの中にこそ、自分にとって非常に重要なメソットがある。
そして発信する意味についても、僕の場合オープンにする部分とクローズドな部分とに分ける必要があることにも気付いた。
この点においては最近採用している人が増えているようだが、これからも増えていくことだろうと思う。
これから個人が個人と結びつき、そして企業やグループなどが立ち上げたプロジェクトにも加わっていく機会は増えていくはずだ。
企業は企業としての機能を失いつつあるからだ。シリコンバレーで働く人たちのように、日本でも自由なキャリア形成が始まっていくことを僕は密かに予想している。
だが多くの人が同じような働き方をすることはできないだろうという考えも持っている。
なぜかというと、これまでの働き方から抜け出すことに対するリスクを感じ、どうしても抜けられずに今までと変わらない働き方を続けてしまう人が日本では多いからだ。
行動力のある人にとってはチャンスが来ている。
とにかく小さな成功をコツコツと積み重ねていける人にとって、今の時代は働き方や仕事に関する価値観を変えやすい時代になっている。
僕はこれからどんどん前に進んでいくつもりだ。
それをナンセンスだとか、大丈夫かとか、生活していけるのかとか、疑われることがあっても構わないと思っている。
それは周囲の人の意見であって、価値観に過ぎない。僕はそのようには思ってなくて、これからどんどん他の人よりも多くのお金を稼ぎ、自由になれるというビジョンが明確に見えていて、そこに向かって進んでいる。
だからこそ、疲れ果てても、少し休めばまたすぐにでも歩き始めることができる。