自分にあった縁取り

型にはまってないと落ち着けないという人もいるよね。そういう人は、誰かの作ってきた型に沿って自分の行動やことばを縁取っていけばいい。でも、おもしろさはなにも感じられないし、結局誰かのやってしまってることの真似をするんだから、少しでもその縁からはみ出してしまえば、たちまち避難が殺到するだろうし、テレビのニュースなんかでもよくあるように、「アイドルなのに」とか「芸人なのに」とか「スポーツの人なのに」とか、その縁取りの中の争いに巻き込まれてしまうものだ。その争いを避けるには、型にはまらないようにすればいいのだけれど、その際にも、縁取りの中の争いというものは起きてしまうもので、それを現代社会は「同調圧力」というようになった。「同調圧力」は社会だけの問題でもなくて、おそらく家庭内でも起きうるものだと思う。親が「こうしなさい」「あぁしなさい」なんてのも「同調圧力」ではないだろうか。「わたしの(おれの)言う型にはまりなさい。」と言っているようなものだよねぇ、それって。なんだかそう思うと、こどもに向かって自分の型にはまらせようとしている行為が恥ずかしくなってくる。でも、こどもが鼻をほじってるのを見ると、誰だって注意はしたくなるものだし、壁にラクガキでもしようものなら、面と向かって話す時間を作るものじゃないだろうか。壁を落書きするために作ってしまう人もいるけどね。

怒るとか叱ると言うのは、「型にはめる」ことと同じ。そう考えると、子育てにしろ、部下を教育したり、友達やパートナーと会話する中で、「こうしなければいけないよ。」と言うことばだって、「型にはめる」ことと同じではないか。それっていつまで経っても終わりは来ないよね。だってさ、誰かの型にはまるってだけで、自分を苦しくさせてしまうんだもの。その型は自分にあった縁取りではないのだし、どこかに隙間ができてしまったり、無理矢理からだを押し込ませたり、はみ出たりすると思うんだよ。その時にストレスが生まれて、自分を苦しめていくんだよね、きっと。


今日も「ここ。」に来てくれてありがとうございます。縁取りって、ひらがなで書くと、その辺にいそうな鳥の名前みたいだよね。


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