毎日続けることの意味

毎日続けることの意味はあるのか。そういう議論はたくさん繰り返されていると思うけど、僕はあまり「毎日やらなくてはいけない」と縛ってしまうようなものはあまり作らないようにしている。縛ってしまうルールが増えると、それしかやっちゃいけないような気がしてくるし、ほかにやらなくちゃいけないことがあったときにやりづらくなるということもある。そもそも好奇心があって取り組んでいることであれば、毎日やることは簡単なことではないだろうか。僕の場合は、最近は朝起きて愛犬ハルの様子を見て、甘えてくれば抱っこをする。落ち着いていれば、子どもたちの朝食の準備と妻の仕事の支度を手伝う。昼ごはんの準備をしたりする。ある程度やることが終わったら、ハルと一緒に盆栽に水やりをしたり、ご飯を食べさせたり、たまに朝から仕事をズル休みして、ハルと遊んでいたりする。そんな日常は仕事に何かつながっているのかというと、必ず全てがつながっているわけではない。でも、盆栽に水をやる時間は、今どんなふうに成長せいているだろうかと観察することが仕事としても大事だったりするし、ハルがいてくれることで、リラックスして仕事に取り組めるようになっているし、毎日パソコン作業に集中できているということ自体、見る人からすればすごいことのように言われることもある。デスクワークがかなり導入されている時代に、あまり好まれない傾向にある中で、僕は誰に言われたわけでもなく、プログラミングの勉強を始めた。すぐに結果を出せたわけではないけれど、いろんな経験を経て、勉強をしながら、今もフリーランスとして仕事を続けていられるのは、妻の支えを借りながら、とにかく机に向かって毎日パソコンをカタカタと叩くという習慣を、「好奇心」から作り出すことができたからなのだと思う。それ以外の盆栽やハルの相手、子どもたちや妻とも時間は全部仕事以外のことを考えることになるのだけれど、そのどれもが僕からすれば、仕事に使えるような一番の価値のある情報だったりもする。ライター業が特にそうかもしれない。日常的なことはなんでも情報として、使えるものは使っていく。そうやってことばの引き出しを増やしていくようにしている。このブログもそのひとつになるのだけれど、別に毎日やろうとルールとして決めたわけではなくて、できるだけ続けようとしているだけなので、別にいつ止めたって問題はない。でも、「書く」という作業に価値を持たせているから、自然と毎日でもおもしろがって書くことができているんだと思う。頭の整理になったり、自分らしいことばの使い方を思い出したりというのは、このブログの中で「書けたなぁ」という実感が湧くときに一番効果が出ていると思う。それがたのしいと思える限りは、マイペースにこのブログをいつまでも続けていられるような気がしている。

今日も、このブログを見にきてくれてありがとうございます。誰にでも何も考えず毎日やっていることはあるもので、それに価値を持たせることができるかが大事なんじゃないかなぁ。

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