時間って、そんなに残されてはいなかったりもする


 あれもこれもと、やってみたいことを見つけることはたのしい。でも、いつまでもそんなにあれもこれもと手をつけてはいられないという気持ちもあったりする。親は30年も経てば80代になる。僕と妻はは50代。おじいちゃんやおばあちゃんなら100歳を超える。そんなに時間というのはたくさんは残っていないと感じる。夜にそんなことを思うと、とても悲しい気持ちになる。自分の親が30年も経てば80代になるということは、今一緒にいる愛犬が14、5年生きられるとして、あともう1匹一緒に暮らせるかどうかといったところだ。自分はまだまだいろんな子たちと出会えるけれど、ほかに目を向けると、そういう事実がいろいろ見つかり出す。僕もいつまでも若くはない。子どもたちだって大きくなっている。

 プログラミングをやりながら、投資の勉強をして、盆栽もやって、ライター業も同時進行なんて、本当はそんな時間ないのかもしれない。プログラミングひとつとっても、バックエンド、フロントエンド、インフラ、そのほかどの言語を学ぶのかなんて選択肢は山ほどある中で、自分が何を選ぶのかを考えておく必要がある。なんでも良いというわけでもない。自分が本当に使いたいものを時間をかけて選ばなくちゃいけない。最近はとにかく時間を大事にするために、「ちゃんと選ぶ」ということについて考えている気がする。Python、AWS、イーサリアム、プログラミングこの3つにしばらくは集中して、投資の勉強は時間をかけて進める。総合してマネタイズはライター業でちゃんと回収することができるようになってきている。あとはプライベートを大事にするための時間を確保しよう。仕事はできるだけ午前中に終わらせて、あとは自由に使える時間のために取っておきたい。そのためには仕事の単価をもっと上げたり、効率よく仕事を片付けなくちゃいけないだろうなぁ。


 みんな時間の使い方に無頓着過ぎるんじゃないだろうか。それと、相手の時間を奪うことにも無頓着だったりするよね。


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