勝手な大人の価値観

こどもたちがいるというだけで、心は色々変化する。自分が当たり前に考えていることなんて、こどもたちからすればどうでも良かったりなんかして、必死にやっていることを理解してもらおうとかさ、頑張っている姿を見てほしいなんてことはさ、「それこどもが大人に伝えたいことだろう」と考えたりもするのです。僕はやっぱりこどもたちよりもこどもだ。自分のことばかり考えてしまうし、こどもたちのことを考える余裕もすぐになくなってしまう。もっとこどもたちの「必死にやっていることを理解してもらおう」とか「頑張っている姿を見てほしい」に気づける余裕がほしいなぁ。ある程度仕事が落ち着いたら、そんなことについてもじっくり考えていきたいな。

こどもが無邪気でいれるのは、大人がその無邪気さを受け入れることができているからで。ことなもまた、そのこどもの無邪気さをなんだか懐かしくも感じられているんじゃないだろうか。無邪気にはしゃいでいる光景を見て、「いつまでもそんなふうにはしていられないよ」と潰そうとするのもまた大人だ。そんな大人もまた、こどもの頃に自分の無邪気さを他の大人に押しつぶされてきたに違いない。

せめて自分のこどもには無邪気な部分は残してあげれたらいいなぁとは思うけれど、どうしてもその「悪い癖」は出てきてしまう。勝手な大人の価値観なんだろう。「こうしなければならない」、「こうするのが普通だ」、そういうことばはこどもにはあまり役には立たない。こどもは肯定するだけで勝手に育っていく。大人の感情も平気で無視をして、愛されるものだろうという考えを持って、大人に立ち向かっていくものだ。大人はどうだ。と大人になるにつれて、愛されるなんて微塵も感じてはいないだろう。その大人がどうしてこどもを愛してあげられると言うのだろう。

今日も、「ここ。」に来てくれてありがとうございます。こどもを育てている人の表情は何であんなに豊かなのだろうね。

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