動物たちは表現の先生

「わん」も「にゃあ」も「腹へった」も同じ意味を持っているし、全く違っているかもしれない。犬や猫は人間の言葉の意味を理解できるのに、人間はなぜ、犬や猫の放つ言葉を理解できないのだろうか。「わん」でも「わんわん」でも「くうぅん」でも、毎回違う意味を持つはずなのだ。そして「にゃあぁぁぁ」も「にゃあごろ」も全然違う意味を持っているはずなのだ。

きっと犬や猫からすれば、ご主人様はなんでこんなにも私たちの言葉を理解してくれないんだろうと、いつも思いながらも、でも愛情欲しさにどうしても「甘えたい」という意味の表現をからだ全体を駆使して伝えにくる。そんな仕草はどんな人でも癒やされてしまうことだろう。だけど、どうしてか、本当にそう言う意味では人間は不器用にも程がある存在なのかもしれない。

あんなに大きな体をしているゾウとかキリンでさえ、動きや仕草で人間に何かしらの表現を加えることができているはずなのだ。それはどうぶつのテレビ番組なんかをみていれば、よくわかる。だが、人間はいつも言葉ひとつで片付けようとしているし、甘えられないと分かれば、すぐにあきらめるだろうし、ひとり遊びなんかをはじめるだろう。とにかく人間は甘えたり、自分の気持ちをからだで表現するのが苦手な生き物なのだ。だから、言葉を駆使してむつかしい専門用語を使い始めたりするのだろう。そんな人間からすれば、動物たちは表現の先生なのではないだろうか。犬や猫でさえも、私たち人間には多くのことを教えてくれる存在なのである。


今日も「ここ。」にきてくれてありがとうございます。

ここ何年か下の娘がやたらと動物図鑑を開いたり、動物の絵を描いたり、動物に触れたがるようになっているのも、動物先生からとても多くのことを学べる、ということがわかってきたからなのかもしれないなぁ。


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