
一つの「木」として、「盆栽」として
盆栽はとにかく時間のかかるものであり、しかもどこまでやれば完成なのかなんてことでもない。
それは、一生終わらないものでもあるだろうし、その一本一本の「木」の命が続いているということは、盆栽として見る以上、手入れをしてあげなきゃいけない。
あげなきゃいけないというよりも、あげさせてもらっていると考えた方が勉強になることは多い。
春の終わりには、徒長枝といって極端に間延びした枝が何本が出てきて、それを剪定しては新しい命として、挿木ようの土に挿しておく。
何月かとにかく毎日数回に分けて葉水をしておくと、そのうち根が出てくる。
その根が出てきた新しい命を、新しいポッドに移し替えて、一つの「木」として、「盆栽」として育てはじめるようになる。
そんなふうにして、盆栽は生まれていく。たまには種を蒔いて、それから出た芽を盆栽になるまで、何年も育てていくものもあったりする。
それはもう何年も何年も繰り返される、日本にとっての貴重な価値としてずっと残されてきたものでありながらも、誰の手でもはじめられるような、たのしいたのしい、ひと時でもあるのです。