ホンモノ

本物でいられるようになるには、選択肢を一本にしなくちゃいけないのか。それともいくつかの選択肢の中で、同時進行で進めているうちに、本物でいられるようになるのだろうか。言葉を使う仕事も、絵を描く仕事も、むつかしい英語を並べる仕事も、どれも時間をかけているうちに、本物でいられるようになっていきたいなとは思うけれども、そう簡単にはいかないだろうし、そもそも本物がどういうものなのかさえ分からない。もし、本物でいられている人がいるとして、「では、この人が本物の」なんて言い方をされることもあまりないだろう。とはいえ、普段目にする人の中で、自分が「あぁこの人は真似したいなぁ。」と思うような人はいて、そういう人に限っては、自分にとっての本物の人が、「そういう人」であるという捉え方は間違いではないと思う。ということは、「この人が本物の」というのも、人によって捉え方は違ってくるのではないだろうか。

長いこと好きで続けているうちに、他の人よりも技術的にも知識的にも、高いポテンシャルを持つことができるようになる、ということが誰にでもあるはずで。でも、いくつもそんな能力を身につけることができるというわけでもないような。もし、そんなことができたとしても、やっぱりめげずにたのしそうに続けている人は本物だなぁと思ってしまう。本物というのは、好きなことを長いこと続けているような人である、ということにしておいて、本物になりたいのであれば、できることできないことなどの分別をせず、誰かと比較なんてすることもせず、ただひたすらに、自分の心地良い時間を過ごし続けれている人は本物なんじゃないだろうか。たまに家族に怒られたりなんかしながらも、一日中今度はなにをやろうか、なんて考えている。そんな人は見ていておもしろい。きっとどれだけ怒られても、頭の中の「やりたいスイッチ」がいつもオンのままだから、それはもう誰にも止められない。「やりたいスイッチ」はいつも誰にでも含まれているものではなかっただろうか。これやりたいなぁ、あれやりたいなぁなんていう気持ちを、大人になるにつれて、いろんな理由はあるのだろうけど、どこか奥の方へしまい込んでしまちゃったから、なかなか取り出せなくなったんだろうなぁ。そのスイッチ、手前の方に持ってこれたら、怒られても怒られても、たのしい時間をこどものように過ごせるんだと思うけどなぁ。


今日も「ここ。」に来てくれてありがとうございます。たまに「がんばらないスイッチ」がオンになってしまって、なにもしたくない、なんて日もあっていいよね。


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