ネガティブもポジティブも紙一重

つい、イラついてしまうことがあったりする。どうしても抑えきれなくて、悪いとわかっていても、誰かに当たってしまったりなんかして。それって結局自分が手に負えないことに対する苛立ちだったり、予想外のことにストレスを感じたりしているというのはわかっているのだけれど、その時になるとなかなか気持ちを抑えきれずに、つい外へ出してしまう。イライラするって誰がどんなふうにして考えたことばなのだろう。自分と同じようにイライラして、まわりが見えなくなったり、自分勝手なことを言い出したりして、まわりを困らせるようなことをして、しまいには自分を責め続けて、どんどん苦しくさせてしまうのは、結局イライラしてしまうほど、余裕のないことをやっている自分の責任なんだよなぁ。まわりがどれだけなだめてくれても、やっぱり気持ちに余裕がないと、小さなことでもイラついてしまう。それは誰にでもあることなんだろうけれど、落ち着いて状況を見ることのできる人は、イラつきもせず、ちゃんと自分のことばを使って、相手を傷つけもせず、自分を苦しめることもせずに、ことなきを得ることができる。そういう大人になりたいもんだなぁ。

とにかく夏休みがはじまると、そういう時間が増える。親からすれば、よくある恒例行事のようなものでもあるようだ。いつもとはなんだか違う、家は騒々しいし、毎日のルーティーンも崩れる。あれもして、これもして、なにをそこまでバタバタと、とは思うのだけれど、大きく違うのはなによりこどもたちが家にずっといるということ。まぁそれはこどもたちからすれば、たのしいたのしい夏休みなはずで、それが終わってしまう頃には、なんだかさみしい気持ちにもなってくるのは、こども時代には誰もが考えることで。たいしてたのしいことがあったわけでもないにしろ、そういうさみしさも残るのが、逆に夏の良さでもあるのかもしれない。騒々しくバタバタと、そして、それがなくなるさみしさも。いや、それは親御さんたちには、あまり感じないだろうなぁ。親というものは、いつもやれていることが、例えこどもたちが加わって、色々と崩れてしまうのは、どうもイラつきやすかったりもするんじゃないかなぁ。でも、こどもに親の気持ちをぶつけたところで、そんなことこどもにとっちゃぁ、どうでもいいことだったりもするのだろうし、分かりはしないものだよね。おとなのふつうなんてさ、こどもにとっちゃぁふつうではないし、好きなようにやれと言われれば、好きになんでもやるのがこどもなんだし。子育てはいつまでも、いつまでも、そんなふうにして自分との葛藤が続けられていくもののような気がする。そんな葛藤の中には、やさしいことばだったり、むつかしいことばが溢れんばかりに入り混じっては、余計に頭の中をひっちゃかめっちゃかにしようとする。それをいったんは「おちつけ。」と言っては深いため息をついて、冷静さを保たせようとする。人には何かと「おちつけ。」と自分でも言い聞かせないと、自分が自分の言うことを聞かないことにもイラついたりするものだと思う。それが負の連鎖になって、ありとあらゆるところに、ネガティブな感情をぶつけ、撒き散らしているようなものではないだろうか。そんなことはできるだけないようにしておきたい。できるだけポジティブな感情でい続けていたい。そう思っている時点で、すでにネガティブであったりもするのだろうけど、どちらにせよ、ネガティブもポジティブも紙一重。裏を返せばネガティブもポジティブであったりするものだ。


今日も「ここ。」に来てくれてありがとうございます。気持ちが落ち込みやすいときなんかは、いつもとは違う仕事に手をつけたりして、とにかく自分をおちつかせたり、考えていることをかえるようにする。そういうことなら、自分でどうにかできることだしね。


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