スラムダンクに学ぶ個性の生かし方


 ゴリはとにかくパワフルで頭脳明解なのが強み。みっちーは長距離ポインターでもあり、テクニックも優れている。りょーちゃんは低い身長ではありながらも、そいの身長を生かしたテクニカルな動きと技術で相手を翻弄する。流川はとにかく優秀でなんでもやってのけるチームのエース。そして桜木はずば抜けた高身長と強いメンタルで相手を物怖じしないという特徴を持っている。この中でなぜ桜木が主役なのかというと、週刊漫画特有の「根性論」が中心に描かれた漫画だからではないかと考えている。

 これがもし流川が主人公であったならば、それほど盛り上がりのない完璧主義的な漫画になっていただろうし、みっちーのようなヤンキー上がりでも、ルーキーズ的な話になるとは思うが、それでは「スラムダンク」という大きなキーワードからは外れてしまう。やっぱりスラムダンクは「桜木花道」が主役でなければ成り立たない漫画なのである。とはいえ、キャラクターそれぞれの個性が明確に定まっているため、ストーリー性も十分含まれている漫画である。なぜこんなにもキャラクターの個性を光らせることができなのか。それを考えることが、自分自身の個性を生かす方法を導き出すことにつながるのではないだろうか。

 まず「スラムダンク」というテーマがあることが軸になっていること。その軸に合わせてどんな個性が最も従役に適任かを考えていく。この場合は、桜木花道自体が主体となっていたことも考えられ、後でタイトルが決められるということもあるだろう。だが、ゴリが主役であれば、タイトルは「カットマン」だったろうし、みっちーなら「スリーポイント」、流川なんて優秀すぎで何をタイトルにすれば良いのか見えてこない。つまり、主役というのは話のタイトルが見えやすいという特徴もあるということが分かる。では、あなたの人生において、あなたが主役になるのだとしたら、その人生にどのようなタイトルをつけるだろう。今あなたがやれていること。これからやろうとしていること。夢や目標を掲げたとして、その人生のタイトルはどのようなものになり、そんな人間関係を描くだろうか。

 数年前に「Facebook」という映画が公開された。もちろん主役はマーク・ザッカーバーグだ。理由など必要もなく、Facebookを立ち上げたのはマーク・ザッカーバーグだからだ。しかし、その元ネタとなったプログラムを書いたのは、他の人間であったということも、この映画の中には描かれている。同じようなことがスティーブ・ジョブズの自伝書にも描かれている。グラフィックインターフェースによる画面操作を実現させたのは、Appleの開発者でもなければ、スティーブ・ジョブズでもなかった。実際にはあまり目立ちもしないようなベンIT企業が開発していたものを、スティーブ・ジョブズがより洗練させたものに進化させるために、Appleに取り込み、スティーブ・ウォズニアックをはじめとした開発者たちによって、新しいグラフィックインターフェースが取り入れられたパソコンが誕生したのである。人生には主役の将来に関係した重役というのが存在するという良い例である。だが、主役はあくまでも桜木花道であり、マーク・ザッカーバーグやスティーブ・ジョブズらなのである。

 果たして主人公というのは必ずしも努力が必要なのかというと、そうでもない。海外映画などは努力など必要とせずとも、既に身につけたスキルを活用して、成功に結びつけるという道筋を辿ることが多いのに対し、日本映画はとにかく「根性、根性、ど根性」なのである。カイドウと対決しているルフィーも同じようにカイドウの攻撃を耐えることができる理由を「根性!!」と叫んでいる。つまり、日本人というのは我慢すること、耐え忍ぶこと、努力することなどが好きな人種なのである。既に持ち合わせているスキルがあるものの、それを生かす方向ではなく、努力によって理想とする未来を作り出そうとするのである。だから、日本人は生まれた時から負け犬根性の遺伝子が備わってしまっている。(戦争で日本がアメリカに負けたという事実が影響しているのかという議論が役立つのかは定かではない)対照的にアメリカは誰でも個性を大事にしていて、実力主義的社会が昔から残り続けている。時には両者の特徴を讃頌していることもある。だが、それぞれの特徴というのはどうしようも変えようのない遺伝子的な問題を抱えているのである。「だが、」である。その遺伝子自体が、大多数とは異なるものを持って生まれた場合、その集団の中では悪目立ちしてしまい、生きにくい人生を辿ることにもなる可能性はある。そんな時に私たちは根性論を語ろうとするか、持ち合わせている特徴を活かし、実力主義で生きようとするかによって、その主人公のストーリーは大きく変わってしまうことになるのである。


 フリーランスという働き方をしていると、サラリーマンからは羨ましがられたり、嫉妬されたり、妬まれたりもするだろう。でも、それをどうしようとしたって無理な話ではないかと思う。小学生の子どもたちにだって羨ましがられるほどなのだから。

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