みんなの卒業式

こどもと同じように、なにか興味を持ったことに対して、納得するまで深掘りしてしまう癖が、僕にはどうやらあるようで。その癖のせいで、周りまで巻き込んでしまうことがよくある。そのせいで、人との関わりが少しだけ変化してしまうこともあれば、反対に密に関わるようになったり。だけど、時間が経つにつれて、そんなことも忘れてしまうようになる。といっても、時間だ経てば、そういうことがあったなぁなんて、ふと思い出す瞬間なんかもあったりして。そういう好奇心の塊のようなものが、一時期なくなっていたときがあって。愛犬ピースが、まだまだ横で気持ちよさそうに眠っていた頃なんかは、好奇心なんてものは外のものには求めやしなかった。きっとピースが僕の好奇心を全部埋め尽くしていたのかもしれないね。そう思うと、犬とか猫っていう存在の大きさはすごいものだなぁと思ってしまう。人の子に対しても、好奇心は生まれるのだけれど、少し違っている。自分の娘を見て、あぁいつかはこの子たちも、巣立っていく日が来るのだろうなぁという気持ち、大人になっていくまで、ちゃんと子育てしないといけないなぁという気持ちがどうも先走ってしまう。そこに好奇心が生まれているのかさえも気づかないままに、あっという間に娘たちは、どんどん大きく成長しているようだ。

最近の好奇心といえば、エヴァンゲリオンについてだったり、松本大洋や糸井重里の作品に触れることに対して、まぁ話題になっていることもあってか、どうも頭の中で考えずにはいられない。エヴァンゲリオンに関しては、最後だからということもあって、3回も見てしまった。もっと見ている人もいると思う。それくらい、今回のエヴァの内容に関しては見ずには入れなかった。だって、こどもの頃からの終わらないはずの物語が、ついに終わりを迎えてしまったからだ。こどもの頃なんて、「なんだこれ???」という感想しか出てこないような、意味不明なアニメだったし、漫画を読むことなんてなかった。でも、大人になるにつれて、段々とその良さが分かってきたんだろうね。碇シンジをどうも自分に重ね合わせている自分が、いつの間にかそこにはいて、そしていつもわけのわからないことばかりを求める父親の存在。あれは自分にぴったりと重なり合うストーリーだなぁと、自分だけじゃなくて、たくさんの人が同じように思っているんじゃなかと思う。3回も見たのに、もっとずっと見ていたいと思うのは、案外悪くない。なんだかこどもの頃を思い返しているようで、心地良い気にもなるし、最後はきちんと「行こう。」というセルフで締めているから、現実離れしていることもなく、ただただ過去を思い返しては、現実に戻ってくるという、これはもう繰り返される物語ではなくなっていて、新しい物語のはじまるを告げているような、そんな印象さえ与えてくれた。エヴァンゲリオンはそのようにして、終わりを迎えたのだ。

そんなこともここ何日かの間に色々と起きているものだから、僕はこの欲からいつ抜けられるのだろうと寝ながら思ってみたりする。人の欲なんてものは、一度芽生え出すとなかなか消えることがない。消そうとすればするほど、大きくなって膨らんで、最後には破裂するかと思えば、もっともっと膨らんでいく。そんな膨れあがってしまった欲望は、鳥か誰かが軽くつついて破裂させてしまうのだけれど、その瞬間に我に帰るのだろう。その瞬間というのは、完全に「それ」が終わってしまったということを、不意に告げられる寂しさを覚える瞬間でもある。でもいつかは終わりを迎えるということは分かっていて、その終わりを迎える準備ができていないときに、「あぁ終わってしまったのか。」と寂しくなるのだろう。だから、欲は出してもいいし、趣味だってあった方が人生楽しいだろうしね。でも、いつかはその膨らんでいく気持ちが「パーン!」と破裂してしまう前に、できれば自分で終わらせることが見えていた方がいいのだろうなと思う。こうやって終わらせよう。そこからは次のことを考える余裕も作っておく。人ってなにかにすがっていた方がきっとラクでいいよね。でも、ひとつひとつのことがはじまっていくことがあるように、いつかはちゃんと終わらせていかなきゃいけない、という場面もある。そういうことを最近エヴァンゲリオンだとか、松本大洋、糸井重里の作品に触れて、じっくりと考えている。

エヴァンゲリオンの映画でもらえた特典(今回はエヴァンゲリオンの話ばかりでごめんなさい。)を眺めているとね、どうも卒業式の後の卒業証書を見ているのと同じ感覚があるんだよね。こどもの頃からずっと続けてきた、学びの場であったり、一生懸命遊んだり、悩んだり考えたりといった葛藤していた時間。そういうものを監督の庵野さんも、きっと抱えていて。それを観客全員を引き連れて、「さぁこれで、ここまで続けてきたわたしたちのお話は終わりを迎えます。みんなで卒業しましょう。」というメッセージ性を感じるものであったのではないだろうか。数人のファンの間でも「卒業式」ということばはいくつも使われていて、同じように感じた人はきっと多かったのだろうなぁという気がしている。特典やパンフレットにも載せてあるイラストの集まりや、声優さんたちのコメントなども、よくよく考えてみると、先生から送られた思い出の言葉であったり、思い出のシーンを写真に収めたものだと考えると、ちょっぴり寂しさは残ってしまうものなのだけど、「あぁ終わったんだな、ここからまたなにか、はじまるんだな。」というほんの少しのワクワクが生まれ出したりもするんだよ。目がうるつきながらもね。エヴァンゲリオンはそういうちゃんとした結末を迎えられたのだ。監督も本当に大変だったろうに、エヴァンゲリオンの制作がある程度片付くや否や、すぐさま次の仕事に向かう姿勢は、この人やっぱり「本物」だなぁと思わせる。寂しいけどね、エヴァンゲリオンという物語は話を戻せば、振り出しに変えることはできるのだろうけど、それは何度も何度も目にしてきた光景であり、いつまでも卒業式を繰り返すようではいけないと思う。もしかしたら、またその卒業式のための儀式がみんなの中で繰り返されることが、あるのかもしれないけれど、できれば繰り返さずに、テレビ越しで見た卒業式ではなく、映画館でみんなで迎えた卒業式の風景を忘れずに、だって卒業証書だってちゃんと、ほら。そこにあるものね。だから大丈夫。

「さぁ行こう、わんこ君。」「うん、行こう。」


今日も「ここ。」に来てくれてありがとうございます。どれだけ余韻に酔いしれたくても、いつかは終わらせないと、次の楽しみを迎えることもできないものね。さぁ、次の演目は…


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