「卒業式」

オフラインには、オンラインにはない「良さ」があると思う。オンラインはたしかに画期的だったし、たくさんの夢を実現させる力を与えてくれたはずだ。だが、そこにずれが生じ始めているような気がする。オンラインの中にいさえすれば、夢は叶うものだと勘違いし始めていること。オンラインは単なるきっかけに過ぎないのだから、結局のところ、オフラインの中でどう自分と向き合えるかが大事であって。どれだけオンラインで便利な世の中が作られても、自分が変わっていないことに気づかないといけないのである。例えば、いつどこでも映画をたのしめるようになったとしても、インターネットがつなげなければ、なにも映画を見ることはできない。だけど、そこにブルーレイディスクと、プレイヤーとモニターがあれば、好きな映画をいつでもたのしむことはできる。その環境をオフラインでつくるたのしみというのも、ほんの数年まではあったはずなのだけれど、今となっては消えかかっているのかもしれない。だけどコロナの影響を受けて、オンラインに対する自分の考えが、大きく変化しはじめているのはたしかだ。必ずしも全ての時間に、オンラインを使う必要はないのかもしれない。むしろその方が得られることは多いように感じはじめている。オフラインは自分と向き合う時間を本当に大事にできるのだ。オンラインはその邪魔をいくらでもつくることができる。

オンラインの中にいる自分は、オフラインの自分とは違うバーチャルな自分。だけどどちらの自分も同じように感じるようにするには、ちゃんとオフラインの中で、考えたり、思ったり、感じたり、手を動かし続けることが大事なんじゃないだろうか。オンラインでどれだけ手を動かして、その中の自分を表現させようとしても、その本質的な部分は、やっぱりオフラインの自分なんだよね。最近エヴァンゲリオンのことを、何度も考えることがあって。エヴァはこどもの頃から知っているのだけれど、それを作ってきた人は、自分がどれだけオフラインで考えて、思って、感じて、手を動かしてきたのかを、ブラウン管やネットを通じて、最終的にはオンラインという環境の中で、自分の新しい形を表現してきたんだろうなぁって思う。エヴァの完結編は、「卒業式」という表現をよく使われているのだけれど、それってこれまでオンラインの中で、シンジとかレイとかアスカなどのキャラクターを使って、自己表現を続けてきた人にとっても「卒業式」であったはずだし、安野監督自身も「卒業式」を兼ねていて、最終的には監督を支えてきたスタッフに、どういうエヴァに仕上げるのかを委ねているところを見ると、「卒業式」というのは「始業式」のようなものでもあるのかもしれないと思う。卒業できるってことは、次の場所に進むはじまりでもあるでしょ。そう考えると、次のエヴァで、新たな自分をオンラインで表現するなんてことを想像することもあるかもしれないし、次の自分に向けてオフラインの中で成長していこう、と考える人もいるかもしれない。何度も「卒業式」を見ていたいところでもあるけれど、次のはじまりに向けて、いつかは動き出さなきゃいけないんだよねぇ。でもその一歩がなかなか進まないのだろうから、マリに三百六十五日のマーチを歌わせていたんじゃないかとか、そういうことを振り返ってみたりもする。こんなに考えさせられる「卒業式」もなかなかないんじゃないかな。


今日も「ここ。」にきてくれてありがとうございます。そんなことをふと思っていたらこれまたふと、「じゃあ、あなたはどうしたい?」ということばが浮かんだ。


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