「ごめんね」、「ありがとう」

ひとりの一生のあいだに、どれだけの数の「ごめんね」と「ありがとう」が加算されていくのだろう。そんなことを思っていたのだけど、特にお母さんなんかは子育てをしていて、「ごめんなさい」とか「申しわけありませんが」とか「すいません」を何度も何度も加算しているような気がする。お父さんもたまには「ごめんね」も「ありがとう」も言っているだろうけど、やっぱりお母さんの方が加算される数は多いと思う。お母さんはやっぱりそういう存在なのかもしれない。そうでないと世の中は成り立たないのかもしれない。そう思うと、今はまだまだ幼い娘たちが、この世の中を成り立たせていくのかなぁと思うと、すごいことだなと関心するし、きっと男である自分の方がわがままを言っているのだろうし、娘たちの方が「ごめんね」ということばで、世の中を救っているのだろう。あぁなんと無力なことかと思うのだが、立場によっては、お母さんが「お父さん」の役割を担っている人もいるよね。そういう場合には、男であっても「お母さん」の役割を果たすこともある。そんなときにかぎっては、男もすんなりと「ごめんね」を加算できなければ、世の中のバランスが崩れてしまうから、それをちゃんと受け入れる余裕がないといけないんだと思う。

あまりに忙しすぎるときって、どうしても自分のことしか考えられなくて、人の話を聞けていない、聞いているふりをしている、だけになってしまって、僕の場合はよく妻や娘からも怒られている。女性というのはとにかく話を聞くのが上手いのだ。なぜかといえば、こどもを産み、母乳を与え、身を守るためのからだづくりができているからだと思う。男性はというと、エサを取りに行く力とか、遺伝子の反映とかしかない。情けない。でも、男は男のやれることを精一杯やらなくちゃいけないのだろうし、だからといって今の時代には、男と女の立場が逆転してる場合もよくあることだろうから、たまには男も女のようになりすまして、自分のことばかりでなく、人の話を聞いてあげたり、考えてあげられるようにならないといけないんだと思うけどなぁ。


今日も「ここ。」にきてくれてありがとうございます。

昔の名曲で「おとことおんなぁ」と歌っている曲があったの思うのだが、あれはいつの頃の話だったろうか。そうだ、あれはかなり昔の僕がまだ自分の娘くらいの年頃だったかな。そう考えると、今も昔もそう変わっていないことをみんな考えているのかもしれないな。


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